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初見レビュー シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

2021/03/11

さすがにネタバレは見えないように隠しておきますが。

今朝見てきました、シン・エヴァ。
Qは昨晩見ました。あの子トウジの妹ってマジかよ。

序と破はテレビで見て、Qは昨日見てシンは今朝見た。
熱心にエヴァを追っていた人からしたらザッケンナコラーって感じかもしれませんが、ぬるーくエヴァを追っていた人には丁度いいくらいの感想になるんじゃないかと思います。
見終わった勢いで書いた乱文なので、まとまった文章になっている自信があんまりない。

ネタバレ関係ない注意点としては
・マジで長い
・トイレが近い人は要注意(上映中席を立つ人が結構居た)
・パンフレットは意外にも買えた

ちなみにパンフレットは「そんなシーンまで載せちゃうの?!」ってレベルで視聴後前提の内容になっていますのでご注意。
パンフはグッズ情報が載った小冊子とセットで、密封した袋に入った状態で渡されるのですが、よく見ると袋に透かしで「ネタバレ注意」と書いてあります。
本当にドネタバレ満載でした。絶対に映画が終わったあとに見ましょう。

入場特典もネタバレ注意マークが付いており、実際ネタバレ要素があります。
この特典はぱっと見ただのカラーイラストなのですが、実は冊子上になっていて開けるのです。
開くのは絶対に見たあとにしましょう。

では具体的な話は以下から。
ちなみに感想や考察については、これまでの設定資料本とかを読んでいない人間のものです。
ここはこうなんだぜって公式の確証取れた設定があったらコメントくれると嬉しいです。

ネタバレ感想

エヴァンゲリオンからの卒業

私はTVシリーズは見ておらず、後にCATVだったかで見たので実際に25年付き合ったわけではないのですが、最大で25年、エヴァに夢中だった人間を『卒業』させる映画だった。
映画を見終わったとき、ファンの胸にあるのは「納得」だと思う。
あぁこれでエヴァンゲリオンは終わったんだと納得できるし、劇中で起きた決着についても納得できる。そんな感じ。
設定はまだだいぶ開示されてない箇所があると思うんだけど、それはひとまず置いておいて、この碇親子を中心としたドラマは完結したんだなと思えるものでした。

エヴァのいらない世界へ。大人になったシンジ。ビジネススーツにバッグを持って、愛する人と手を繋いで駅のホームから外へ向かっていく。
電車が内面世界の象徴だったエヴァですから、駅はその分岐点、そこから出るということは内面の思索を終えて答えを出したシンジということでしょうか。

エヴァンゲリオンという1995年の象徴からの解放というのが、視聴者への一番大きなメッセージだったような気がする。
(大人シンジくんの声、神木隆之介くんだよね?名だたるアニメ監督からラブコールされすぎる)

時代性の妙味

新劇場版エヴァシリーズは、序~シンで14年という、TVシリーズ~序(12年)より長い時間のかかった旅でしたが、結果としてシンは9年待たされるのが正しい映画だったと思う。
リアルタイムでQを見てそこから9年待たされた人はたまったもんじゃないだろうけど…。

今一度Qを見てみろ。あのシンジくんに辛辣で冷たく、彼を導く余裕のない世界観を。
あの1,2年後にシンが上映できていたら、きっと今回のような誰に対しても暖かく、前を向いていて「終わった!」と言えるような映画にはきっとなっていなかった。

旧劇がああだったのは(個人的に)時代性だと思っていて、一方シンがこうだったのも(個人的に)時代性だと思っていて。
今回のような暖かいストーリー展開を、陳腐だとかありきたりと言わず、きちんと良いものだと受け入れる姿勢を視聴者が獲得しているというか、そういう展開に価値を認める時代がいつの間にかやってきていた。
シンジとゲンドウが話し合って、ゲンドウが弱みを認めて納得する展開なんて、きっとTVシリーズの最終話ではやれなかっただろう。

長い間エヴァンゲリオンと付き合ってきて、前回のQからも赤子が小学生になるような時間が過ぎて、もう終わっていいだろうという空気感があってのシンの展開なんじゃないでしょうか。

エンターテインメントとしてのエヴァ

だからといって、皆にはもうエヴァはいらないよねって背中を押してくれるだけの映画じゃない。
序盤のユーロ支部奪還や、最後にAAAヴンダーに残ったミサトの突貫なんかは、ロボットアクション映画に求めるものを最高峰のクオリティで見せてくれています。
音響も物凄くて、映画ってのはやっぱり映画館で見てこそだなって感じましたよ。冒頭からお前らの鼓膜は今日が最後だって感じで爆音の連続だった。

また、バトル要素とは別に、やっぱりエヴァと言えばシンジを中心とした登場人物の心情描写。
序盤のシンジのことを、緒方さんはパンフレットにて失声症と表現していますが、あの絶望から立ち直る過程がやはり良い。

正直言うと「まぁシンジといえば他人を拒絶してカラに閉じこもってナンボだよね」みたいな、テンプレ的受け取り方をして見ていたのですが、それだけにシンジの「なんでみんなそんなに僕に優しくするんだよ!」という言葉は衝撃的だった。
周りが自分に優しくしてくれていることをわかっている、つまり全てから目をそむけて閉じこもっているわけではないという。ケンスケが言う通り、本当にただ時間が必要だったのだ。

旧劇で「だったら僕にやさしくしてよ!」と嘆いていたシンジくんと対照的ですね。これはリビルドされたエヴァンゲリオンなのだ。
今改めて思うけど旧劇のエヴァは世界が残酷すぎるな…。

また、これまで見てきた綾波レイの存在を踏まえた上で、第三村のそっくりさんの積み重ねには来るものがあった。
まさか2021年、アラサーも中盤に入りかけた今になって「綾波萌え」を心で理解させられることになるなんて、思っても見なかった。
LCLになって消えた瞬間はうわああああやっぱエヴァだあああああと思ったものですが、後に心象風景の映画スタジオ?で長髪波が「つばめ(トウジと委員長の子)」と名前が貼られた赤ん坊の人形を抱いていたのでもう泣きそうになった。そっくりさんと綾波の意識は繋がっていたのだろうか。

第三村の雰囲気もまた良かったですね。
トウジとケンスケがここで出てくるなんて思っても見なかった。
そして出てきたからには、鬱状態になったシンジを立ち直らせるのはトウジとケンスケかなと思っていた。
やることなすこと裏目に出るシンジの、確かに守れた数少ないものなので。

AAAヴンダーに戻ってからのシンジはもう戦う男の顔になっていて、しばらくの間は座っているだけなのにかっこよかった。
エヴァに乗りますという言葉をあんなフラットに、自分の意思をもって宣言したのは初めてじゃないだろうか。
そこにニアサーの影響を受けてしまった一般人の視点を盛り込むのも正しい。

特にQでは重要人物以外は全員モブ、一般人にいたっては確かゼロだったので、シンジの存在が当事者以外にとってどう見えていたのかはっきりしてくれてスッキリしたし、その上でシンジが戦わないと世界は滅んでいた、と肯定してくれたのも良かった。
北上さん(ピンク髪の子)は損な役回りでしたが。

母か女か

シンで最もスッキリした要素の一つが、ミサトさんの存在。
序・破ではまぁTV版に沿った「女性」として、シンジの面倒を見ようとしたり、帰還した加持さんを意識したりしていましたが、やっぱりターニングポイントはQ。
シンジに悪感情を持つブリッジ要員も居たとはいえ、見た目からがらりと変わった上にシンジに冷たいミサトさんの姿は、見ていてさみしいものがあった。

シンの終盤も終盤、ゲンドウと対峙したシーンでようやく葛城大佐がミサトさんに帰ってきた感じでしたね。
サクラの銃弾からとっさにシンジをかばうところももちろんなのですが、やっぱりシンジがプラグスーツに着替えたあとのワンシーンですよね。
シンジを「いってらっしゃい」と見送るミサトは、旧劇の「帰ってきたら続きをしましょう」のミサトと対象的。

「帰ってきたら続きをしましょう」は本当賛否も含めた色んな考察がされていて一概に言えないのですが、個人的にはあの状態のシンジを動かすにあたって最悪手だったという印象です。
なにしろカヲルくんを初め彼の心を折る様々な事件があって自縄自縛に囚われていたシンジを、女の色香で動かそうとしたわけなので。
あれはシンジを碇シンジという個人としてではなく、ただの男として捉えて揺さぶるための行為でしかなかった。
(あのまま踞っていたら戦自に殺されて何もかも終わっていた上、ミサトさんは撃たれていて動けないので他にやりようもなかったのですが)

一方シンのミサトは、シンジを息子のように受け止めていて、彼を送り出すときの表情はまさに母親の顔。
あの瞬間、初めて自宅に彼を迎えたときのように、家族としてシンジを見ていないと出てこないものです。
(ただ新劇のシンジはミサトと関係ないところで、トウジやケンスケ、アヤナミレイのおかげで立ち直れたので、旧劇のミサトと単純に比較するのは少し可哀想だけど)

「お邪魔しますじゃなくて、ただいま」から始まったミサトとシンジの関係が、「行ってきます、いってらっしゃい」で完結するのが本当に美しいと思う。
(これは前日に序を見ていなかったら気付いてなかったかも)

旧劇と新劇のミサトさんで何が違うのかと言えば、やはりというかもちろんというか、加持さんではない方のリョウジ君。
子を産んで母となったことで、ミサトさんは旧劇はじめこれまでとは劇的に変わっていた。
ユイがまさにシンジのためにずっと初号機の中で待っていたように、エヴァンゲリオンという作品は母を一種聖域のように扱うよね。
シンではそこに委員長の存在も加わって、母であることが人を変えて慈愛の感情をもたらすことをだいぶ具体的に表現している。

男だから、女だからというのは古い考え、と最近よく聞くようになったけど、母というのは「子を産んでいる」という客観的事実に基づく属性だから、旧劇の頃であってもそこから20年以上経った今であっても、その有り様は揺らがないんだなあ。
父も本当はそうなんですけどね。ゲンドウはその辺どうなんでしょうね!

男の戰い

そしてゲンドウとのタイマン。

何故か突然ウルトラマンのパロディっぽい空間が入ったのは監督!!って感じだったけども、あくまで前フリで本題は会話で納めたのが本当に本当に感動した。
長い歴史のある作品なので、TV版→旧劇の熱も落ち着いた頃合いで「お前ら一旦落ち着いて話し合えよ」って思った人は数知れずだと思いますが、それを実際にやりきるとは。

ゲンドウの掘り下げも、ユイに会いたいというだけではなく、ゲンドウがいかにして生きてきてユイに惹かれたかを当人の口から語ったのがすごい。こんなあけすけな演出をエヴァンゲリオンがやっているという。
話し合い、言葉を交わしてシンジが大人になっていたことに気付くゲンドウ。一方自分は果たして大人なのか?

シンジはシンジで、これまで一歩二歩以上引いた位置から、構って欲しそうに見ていただけだった父を理解する。
父さんは母さんを見送りたかったんだ。

ちょっと悪辣に言うと、ユイが死んだ世界を受け入れられず駄々を捏ねているのがゲンドウの本質。
ただし当人には並外れた才覚と人運があり、ユイと再開するという計画を実現する寸前まで実行できてしまっています。
「破」でダミープラグによってアスカを殺したシンジに対して、願うものがあるなら己の力で得なくてはならない、と語るゲンドウ。自分がユイを求めて今なお戦っているように、シンジにも欲しいもの・守りたいものがあるなら自分で動くべきだった、と諭しています。
(新劇場版のゲンドウはシンジに対して、だいぶねじれているとはいえ悪い感情を持ってはいなさそうなので、嫌味とかではなく純粋に教えを説いていたつもりだったかも。俺は今も戦っているけど、お前はどう?って)

ユイと再び会うために世界中を巻き込んで、ゼーレなんて組織の計画を乗っ取って、数え切れない犠牲者を出して辿り着こうとしたゲンドウの計画。
現実と空想を一体化させ願いを叶える世界に作り直す「アディショナル・インパクト」。果たしてそれが大人のすることか?

ゲンドウは大人になれなかった子供の象徴だった。

一方シンジの気付いた「父さんは、母さんを見送りたかったんだ」という言葉には、それとは真逆の「ユイの死を受け入れる」というニュアンスが含まれます。
妻の死を認め、受け入れて前を向く大人になること。
そうなれなかったけど、そうなりたかった内心(本心ではないかもしれない)に気付くシンジ。
シンは大人になったシンジを通して、大人になれなかったゲンドウが大人になる物語だったのかもしれない。

果たしてヴィレの槍でやりなおした「エヴァのいらない世界」にゲンドウが居るのかちょっとわかりませんが(居ても意義があるし居なくても意義がある)、願わくば生きていて欲しい。
そして息子の連れてきた嫁さんを見てお茶を吹いて欲しい。
息子が連れてきた嫁が大学時代の同輩でした。そんなことある?

最後に

正直、シン・エヴァンゲリオンを見て抱いた感想の半分も書けた気がしない。
それくらいに濃密な映画だったし、文章で表現しきれない、これまでのエヴァンゲリオンというコンテンツに使ってきた時間を組み込んだ集大成と言える映画だったと思う。

じっくり考察しながら見たいので、出来れば早めにBDを出して欲しい…。
そして庵野監督にはもうエヴァンゲリオン自体は作らなくてもいいから、本編で明かされなかった裏設定を明かす本でも書いて欲しい。
特にマリはメインヒロインに成り上がったくせにまだ謎多き女ですからその辺を重点的に…!

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